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麻原には死んでもらわなければならない

2006-02-25 Sat : 裁判
 まさか過激な発言などとブログを削除されるんじゃないでしょうね。オーム真理教の教祖麻原彰晃が裁判で死刑をめぐって裁判が行われている公然の事項を単刀直入に言ったに過ぎませんから。
 
私の言っているのは簡単なことで、11年前の地下鉄サリン事件で多数の死傷者を出しそれを計画し実行を指示した麻原は責任を取れということなんです。誰の頭で考えられ計画が練られたのか、実行犯のほうが刑が早く確定し死刑になり犯罪の大元がのうのうとしている。
 
人の生命にいっさい手を下していなくても実行した者より犯罪を計画し指示した者が一番悪いのでありその逆ではない。
 この事件の場合、サリンを電車ないでまいたらどうなるか実行犯が知っていたからその者の犯罪が明白になったのだけれどもし指示された者が犯罪とは知らずにがただ袋を置いたのだとすればどれほどの罪を問えるのでしょうか。事件の本体は際限なく拡散し犯罪の本質がどこにあるのか分からなくなるでしょう。

  多数の無くなった方が亡霊となり解答を求めて「なぜだ!」と叫んでいることでしょう。罪を犯したらそれに対して罰をあたえる。これが事件をうやむやにしてしまわない明朗なことだと思います。

  麻原はだんまりを決め込み馬鹿のふりをしているがそれを弁護人は犯罪は大きすぎて消せないものだからは訴訟能力が無いなどとなんとか罪を軽くしようとしている。国民の税金を10年以上も使ってなんとも無駄なことをしているのではないでしょうか。
 現在の訴訟能力がどれほど重要なものなのでしょうか。犯罪が行われるとそのときの精神状態が問題視され今度は裁判のときになるとこのときの精神状態が問題にされる。刑事事件になる犯罪が行われてしまうと裁判では突如として心の状態を懇切丁寧に取り調べられる。殺された被害者の方たちは文句を言いたくても言えないというのに。いたれりつくせりではないですか。われわれ民間人は税金を払って四苦八苦で生活しており中には失業して金に困ったり、自営業者では倒産して自殺する者も多数いる。そのとき心の状態を国や弁護士が聞いてくれて保護してくれたなら死ななくて良かったものがいっぱいいるのじゃないでしょうか。犯罪を犯してしまってから心の状態をきく。
 犯罪をすることがが一種の公共機関の手続きかなにかのようになっています。民間では好むと好まざるにかかわらず生きていくためにしゃにむに活動しなければならないが、そこに入ると暴力非難からは完全に隔離保護され。寝食昼寝つきおまけに心の状態まで聞いてくる。これじゃ犯罪はなくなりませんね。

 犯罪を取り調べて間違いが無いのかかくていしたらあとは罰を犯罪の程度に応じてどう決めるかだけだと思います。犯された結果に対して判決がくだされるべきであり現在の心の状態を問題にするのは犯罪の所在を塵のように拡散してしまうものであり犯行時の精神状態がどうだったかとかさえ問題ではありません。
 心の状態ではなく結果から責任を決めるのは世間の一般常識になっています。

 もし多数の死傷者を出した麻原が精神状態とかでうやむやにされるのであれば、こんなにもたくさんの死者、大きな社会への被害がなんの解決もみずに闇に葬られるのでありこれより小さな犯罪は全く小さな罪でしかないということになり死刑制度そのものが全く意味をなくしてしまうでしょう。
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