スポンサーサイト

-------- -- : スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

村山談話を見直す 新しい政府見解

2008-11-27 Thu : ブログ
たいそうな題名になりましたがこれは私見です。アハハ。

 田母神幕僚長の論文が政府見解と違うとして話題となった村山談話。
自民党と社会党が合体したときひょんなことから総理になった村山富一氏のことでいつだったか交通事故を起こしてフォーカスされてましたが、山毛ぶら下げた庶民派(?)のじいです。

murayama


 この村山じい近隣アジアに行き過去の日本のことでペッコタンペッコタン米つきバッタのように謝りまくった。
当時インドネシアのマハティール首相から「そんなんいいから援助してくらはい」と言われ理解不能に陥り「は?」と奥目キョロキョロさせとった。
とにかく謝るのが好きな総理だったのです。

そんなひ弱そうな村山じいなのですが「村山談話」となると鳥インフルエンザと人インフルエンザが合体し新型インフルエンザになったようなものでその威力は強力なものなんですよ。
何しろ現役の田母神空幕僚長を左遷させたうえ体のいい退職という形のクビにさせ、たんびに中韓に日本叩きの力添えをし、野党に政府の管理能力を追求させる。
歴代の総理は小泉さん安倍さん情けない福田は番外だけど麻生さんとだれもかも村山談話の呪縛から逃れたものはいない。

結論 日本を曇りの無い国にするには「村山談話」を無力化しなくちゃダメー!!

 
村山談話は村山の談話であり政府の談話ではない。法律でもない。当時の国民の承認を取っていない。まして時代が移った今の国民の承認を取っていない。当時の自民党と社会党が政権を取るためだけに作られた政府の変な談話なんですよ。
村山談話は言葉である。言葉は引き継ぐこともできるが否定することもできる。無視さえできる。 

 村山談話の意味とか功罪についてははしょります。
ここでは政府がどのように「村山談話」を無力化するか語ります。
つまり「新しい政府見解。」アハハ、
麻生さんはもう「引き継ぐ」と言ってしまったんだからかえられないでしょうね。
だから「新しい政府見解」は将来首相になる人が言うことになります。

要点を言えば「引き継ぐ」と言ってしまうからダメなんですよ。「こだわらない」とか「特にとりあげない」とかいっときゃいいんです。

村山談話 新しい政府見解
60余年平和を実践してきたわが国日本は国内においてまた外交においても充分その役割を果たしてきた。
 いわゆる「村山談話」はその役割を終えた。今後日本政府はこれを前面に出して政府見解とすることは無い。
なお日本政府はこの発表にからんで外国などから特段の誹謗挑発がなければ敢えて対抗的な行動をとる事はしない。」


上のようなことをボソリと地味に公報に流しておけばいいんですよ。外国が知ろうが知らなかろうがどうでもいいです。既成事実さえできればいい。
アメリカは敢えて日本と争いごとを起こすつもりはないでしょう。
中国は学習してきているので何かしら言うかもしれないが日本との関係を絶つことができないので一次的なさざなみ程度でしょう。
懲りない韓国はメディアがきっと文句をつけてくるでしょうね。
植民地支配や侵略的行為を正当化するものだ」などと批判してきたら

日本政府発言
「日本は平和的貢献により過去の責任は清算し終了している。不当な挑発が繰り返されるなら日本人の感情を著しく傷つけることになる。政府としては経済面などで対抗的な行動をとることもありえる。」

今度指導者になる人はよく憶えておいてください。
素人が専門家に教えなきゃいけないの、TURENA
スポンサーサイト

アカ日新聞 アカ字100億おめでとうございます

2008-11-23 Sun : 時事
 人様のブログによると朝日新聞が103億円の赤字を出したと言う事です。
まずはおめでとうございます。そしてなにより消滅のほうをよろしくお願い致します。
なかなかターミネーターのようにしぶといんでしょうけどねー。

 日本を冒涜し日本人を侮辱する許しがたいマスコミですからね。

まじめな社員には、生活のために仕方なく入ったと言う意味ですがソウいう方には気の毒ですがいいところに転職してください。

ヒラリー・クリントン氏が国務長官に 日米冬の時代

2008-11-22 Sat : 時事
 ラジオを聞いていたところヒラリー・クリントン氏が国務長官に決まったそうです。
彼女は親中国の人であり大統領候補に敗れたのでやれやれと思っていたがゾンビのように復活してきた。
うわさのよると「慰安婦日本非難決議」を成し遂げたマイク・ホンダ氏が教育長を目指してがんばっているようです。

大統領になるオバマ氏を含めてぜ~~ん員親中国、中国重視なんですから。
日本にとって日米は冬の時代になることでしょう。

ブッシュ大統領が北朝鮮のテロ指定を解除しておきながら、それでも「拉致問題は忘れない」と言ったわけだが、3年も経てばあの共和党の大統領は温情あふれる事をいったんだなあ、ということになるでしょうよ。

いずれにしてもわれわれ日常生活をみればわかるように我が家を助けるのは家族であり隣の家でも親戚でもない、日本を守るのは日本人自身でしかないのです。
外国に言われるままではなく日本独自の道を目指し相手を屈服させるべき。

「やはり“パル判決”は“日本無罪論”ではない」を論駁します

2008-11-09 Sun : 未分類
これは正論11月号の牛村圭(うしむらけい)氏の文章で、小林よしのり氏がパール判決を「日本無罪論」としたのを批判したもの。
パールじゃなくてパルと言うところがそもそも胡散臭いのだが、「日本無罪論でいいじゃん」と単純に考える私はこの牛村氏の雑文を粉々に粉砕したいと思います。
 最後の方で「私の日本無罪論」があります。

牛村氏の経歴は東京大学文学部卒業、シカゴ大学大学院歴史学博士課程終了、現在国際日本文化研究センター教授など偉い学者様なのだ。
その方の学説を論破するという自分、なんかいっぱしの知識人みたくなってきたなあ、もし。

それでは本題に入るとしますがその前に牛村氏の主張を一応書いておかないといけないですね。               

牛村氏の雑文から引用
◇ 引用開始◇
ここで「極東国際軍事裁判所憲章」を見ることとしたい。「本裁判ハ、平和ニ対スル罪ヲ包含セル犯罪ニ付個人トシテ又ハ団体員トシテ訴追セラレタル極東戦争犯罪人を審理シ処罰スルノ権限ヲ有ス」。
一読して明らかなように、極東軍事裁判は個人を訴追の対象とし、個人を審理し処罰する事を目的とする裁きだったことがわかる。ここには、日本という国家の行為を裁く意図する文言が無い事を、まず確認しておく。
 次に、開廷間もない日の主席検察官ジョセフ・キーナンの冒頭陳述に目を向けてみたい。
“最後に申し上げますが、国家自体は条約を破るものではなく又は公然たる侵略戦争を行うものではないということを再三再四強調しておく必要があります。責任はまさに人間という個人にある。彼らはこの権力を自発的に掌握したのであるから一般普通の正義の命ずる所に従って個人的に処罰を受けなければならないのです。”
ここには、日本という国家を裁くのではない、という明瞭な主張がある。そして、侵略戦争遂行の責任は個人にあり、という訴追の基本方針を再確認したのである。

◇ 引用終了◇

 牛村氏は「日本有罪」としたいんだろうがそのため三手先くらいの下準備をしている。
裁判所憲章も主席検察官も異口同音に、極東裁判は個人を裁いたのであって国を裁いたのではないということを言っている。
ここでよーやっとパール判決が出てきます。

牛村氏の雑文から引用。
◇ 引用開始◇
個人を訴追し、個人を訴因に基づいて有罪・無罪と判定し、そして刑の宣告を行ったのが東京裁判という史実である。これとまったく同じ枠組みに基づいてパルは、全被告無罪という結論を示した。この事実をかんがみる時、被告という「個人」を通して「歴然たる国家の行為」を裁こうとした、よって「パル判決」は「全被告無罪論」に止まらず「日本無罪論」である、と主張することは。「パル判決」を別の枠組みで論ずることとなるのではないか。かかる主張は、かえって「パル判決」の有する意義・重要性を減じてしまうのではないか。
同じ土俵で正反対の結論を出したからこそ、「パル判決」は強烈なメッセージを発するのである。多数派判事による公式判決は、被告全員を有罪とした、一方パル判決は日本という国家を無罪とした、とするのでは、この二つの判決を比較する意義が失せてしまうだろう。
以上が「パル判決」は「全被告無罪論」であるが「日本無罪論」とは言い難いとする私の考えである。

◇ 引用終了◇

ここまでの誘導では ここでも牛村氏は結局同じことを言っている。
牛村氏は「パル判決」も東京裁判という枠組みに基づいて提出されたものなので、「個人」を訴追しただけであり「日本という国家」を訴追したものではない。したがってパル判決は「個人」の無罪を主張したものだが「日本という国家」を無罪としたものにはならない。
だから日本無罪とは言えない。
とまあ簡単といえば簡単な事を言っているだけですね。
くどくどもって回ったような言い方をしているがしかし「日本が無罪ではない」、という確証はここまで一言も言えてはいない。

全文を通して唯一日本が有罪をほのめかす部分がある。
雑文の最後の紹介
◇ 引用開始◇
論を結ぶにあたり、「パル判決=日本無罪論」と主張する論者に申しあげたい。「パル判決=日本無罪論」を是とするならば、やはり私人としてのパルが口にした「あの戦争裁判で、私は日本は道徳的には責任は在っても、法律的には責任はないという結論を下しました」という昭和41年秋の発言を是としなければいけない、ということを。つまり、東京法廷の枠組みを厳密に解した上で「パル判決」を「全被告無罪論」にとどめない限り「日本無罪論」とともに「日本の道義的有罪論」をも認めなければいけなくなるのである。
◇ 引用終了◇

インチキもここに極めり、とはこのことでしょう。
いままで牛村氏は、同じ土俵で行う公式裁判の意義・重要性を強調してそれ以外の論拠からくる「日本無罪」説を封印してきた。
ところが氏はそれを突如として自ら「私人としてのパール判事の発言」を持ち出して公式の土俵とは離れたところから「日本の有罪性」かたりだした。
 
先生、言っている事が変だと思いませんか?これは自己矛盾していると同時に、読者に対する裏切りである。

牛村氏自身が引用しているじゃないですか。私人としてパール判事が「日本は法律的に責任はない」と。それが「日本無罪論」なんですよ。
「日本の道義的有罪論」を認めなければいけなくなる。
そんな名称の罪はありません。きっと作ったのでしょう。

日本有罪をほのめかす文章は後にも先にもたったこの二行しかない。
「日本は道義的に責任はあっても」のたった一行で「ああそうですか、日本は悪い国だったんですね、だからこれからもずっと償い続けなければならないんですね」と納得する人いますか。日本を貶めたい勢力の人以外には。
日本の名誉がかかわることなんだからちゃんとした根拠を出さなきゃダメですよ、先生。

パール判事の「日本は道義的に責任はあっても」発言が事実であるならば、私の推測では「南京虐殺」などのことかもしれない。
 戦争をやれば人をころすことになるからどこの国でも多かれ少なかれ「道義的責任」は発生はする。
連合側が優勢で戦争直後の情報が少なかった中でパール判事が日本側無罪を宣言した意味の方がはるかに大きい。
いまでは研究が進み「南京虐殺」という事実は無いことが分かった。
それでも執拗に「日本の道義的有罪」をうんぬん言うのならばその矛先をアメリカに向けていえるのか、と問おう。
アメリカは実験により落とせば多数の死傷者が出るのを承知の上で民主党の大統領は広島と長崎に核を落とした。
これが悪でなくてなんであろう。
公正な国際軍事裁判が行われたとすればアメリカは間違いなく「有罪」となる。

 
なんか論文調になってきたなあ。ひょっとして漫画家になれるかしら、もし。
ここまで目を通された方、ありがとうございました。

さていよいよ牛村氏に対する「私の日本無罪論でいい」を書きます。
「私の日本無罪論でいい」
◇ 論駁開始◇
「有罪」「無罪」は人間が作ったものだからどっちかになる、「有罪」でなければ「無罪」、「無罪」でなければ「有罪」です。
まずこれが前提。
牛村氏の問題提起から読み解くと裁判は「個人」「国家」「有罪」「無罪」の組み合わせに適用される。
ここでもう少し現実的な感じを出すために「個人」ではなく戦争を導いたという意味で「指導者」とし、その指導者以外の国民という意味で「国家」ではなく「国」と言い換えたい。
組み合わせは次のようになる。
①(指導者=有罪 国=有罪)
②(指導者=有罪 国=無罪)
③(指導者=無罪 国=無罪)
④(指導者=無罪 国=有罪)
以上4つの組み合わせになります。

① の指導者が有罪で国も有罪、指導者が隣国の征服をたくらみ国民も積極的にかたんしたなど裁判で指導者はもとより国としても何らかの国際的な制裁を受けるなど、このケース少ないけれどありそうだ。
② の指導者が犯罪を犯すも国民は選択の余地無くあるいは騙されたなど国民には大きな責任がないと思われるケース。これはありでしょう。
③ の指導者の犯罪は外国の圧力などで仕方なく行われたものであり無罪、それに付き従った国民も無罪、これもありでしょう。
④ しかしこのケースはどうか、指導者は無罪になったのだが国すなわち国民は有罪となった。変だと思いますが。

ここで話を分かりやすくするためにストーリーを作りましたのでそれにより真実に迫りたいと思います。
あるスリ一家の話です。
日本をスリ一家にたとえるのは「ごめんなさい」ですが分かりやすさをのため取る事にしました。ご容赦おねがいします。

スリ一家加藤家の構成員は主人の加藤(45)のほか心臓病の持病を持つ妻(40)長男(13)次男(11)三男(5)それに加藤の父(70)です。

加藤は高校卒業後ずっと鉄工所に勤めていたが高所から落ち右足を複雑骨折して入院した。折悪しく不況のせいで鉄工所が倒産。加藤は失業した。
入院して傷は治ったがびっこになってしまった。求職活動をしたが不況とハンディのためどこにも採用されなかった。
その間3年、貯金で一家は何とか生き長らえてきたがとうとうその貯金も尽きた。
失望の中安定所から電車で帰る隣の座席に中年のサラリーマン風の男がズボンの後ろポケットに財布をはみ出させたまま居眠りをしていた。
加藤は震える手で初めて盗みを働いた。
財布には5万円入っていた。
明日かあさって一家心中をしようと考えていた加藤はこうして思いとどまった。

しかし5万円はあっと言う間に尽きてしまった。
加藤はやはり同じ電車で2回目のスリをやった。これも存外成功した。
昔から手先が器用だった加藤はそれからというものは次々と犯行を繰り返した。

犯行はすべて加藤が計画した。妻は家の経済がどんなかを知っているので犯行を思い止らせようという考えはなかった。
加藤の父辞めさせたかったが養ってもらっている身、他に方法は無いのでむしろ協力した。
妻は加藤が実行するときターゲットの注意をそらせる役など。
加藤の父は連絡役など。
長男と次男は奪ったものの運搬など。
5歳の男の子はもちろん知らない。

だがこうした生活も長くは続かなかった。一年半後のこと、加藤を怪しいとにらんでいた乗客が財布をすった加藤の右手をむんずと掴んだのです。
加藤家の判決はいかに?

条件設定が長くなりましたが、ここで役割を決めたいと思います。
 
指導者に相当するもの>加藤、主たる容疑者または容疑者と表記
国民、国家に相当するもの>加藤以外の家族

“さてここで問題です”、です。
容疑者と問われる罪に関しては4つの組み合わせがあります。
① 容疑者=有罪 家族=有罪
② 容疑者=有罪 家族=無罪
③ 容疑者=無罪 家族=無罪
④ 容疑者=無罪 家族=有罪

以上。
個々に考えていきたいと思います。
① 容疑者=有罪 家族=有罪
加藤容疑者が犯行を繰り返しそれに付き従って家族が手を貸した。だから両者とも有罪、これはあるでしょう。事情の如何を問わず法治国家である以上判決に服しなければならないと。
② 容疑者=有罪 家族=無罪
主たる容疑者は罪を問われたが、やむなくそれに付き従った。情状酌量で無罪.これも有でしょう。
③ 容疑者=無罪 家族=無罪
犯罪は確かに行われたのではあるが、それをしなければ死んでしまうというのっぴきならない状況でやむなくおこなわれた、そういう場合には主たる容疑者、それにつき従った家族、共に無罪、ありえることでしょう。
④ 容疑者=無罪 家族=有罪
しかし、主たる容疑者が無罪となり、しかしそれに付き従った家族が逮捕された、
こんなケースが一体存在するのだろうか。

一つの犯罪を行ったグループで、主たるものが無罪ならば当然従たるものは必然的
に無罪となると考えられる。
程度の大きい方が無罪であるならば程度の小さい方は当然のことながら無罪である。
主要なものが罪を問われなければ従っていたものはなおさら罪を問われることはない。
常識的なことで当たり前ですよね。

ここでスリ一家の話は終わってひるがえって「指導者」と「国」の話に帰りましょう。
ここでも常識的に考えて第④番目の指導者=無罪 国=有罪
国の主たる指導者が無罪となってそれ以外の国民の方が有罪となる、
こんな馬鹿なことは常識上起こりっこない。
当たり前ですよね。

さていよいよ核心に迫りますが、
牛村氏の「やはりパル判決は日本無罪論ではない」。
どうですか?
前提が氏自身が「パル判決は個人を無罪としたものだ」と言っている。
なのであれば当然のことながら「日本」は「無罪」に決まっている。
当たり前すぎるでしょう。

これにより牛村氏の馬鹿げた雑文をことごとく粉砕し終わりました。
◇ 論駁終了◇

ていうか「パール判決」は法廷で「個人」を無罪とする形で使用されたものでしょうがもともと「日本無罪」を言いたいがために膨大な手間隙をかけて作成したものでなくてなんなんでしょう。
パール判事はただたんにといってはなんだけど数人の個人の命を救うためだけに献身的な努力をしたというのだろうか。
そうじゃないでしょう。
連合国側に追い込まれている日本を救おうとしたのでしょう?

ここまで目を通されてこられた方、ありがとうございます。
もう一息です。

 最終章牛村氏はことあるごとに「同じ土俵で争う事が重要と」公式判決の重要性を何度も強調しているのだが、この東京裁判こそがインチキ裁判なのです。
欧米が自らの大悪を隠蔽するために通常の戦争をナチスの犯罪に似せて日本を悪に仕立てようと目論んだのですよ。

まじめな裁判じゃあない。日本を犯罪国家にすることは決まっていた。
だからこの裁判所で日本を弁護するものは無かった、ただ一人を除いて。
パール判事。
このめぐり合わせが無かったならば日本は永久に弁護する術を失っていたでしょうね。

牛村氏はしきりにパール判決の意義を「個人を弁護した」だけの領域に閉じ込めようとしている。しかしそれは氏が勝手に抱いた妄想でありパール判決の価値は最も影響を受けたはずの日本人の心にある。
パール判決の評価はわれわれ日本人一人一人が決めることなのです。
氏はパール判事を奇怪な動物を見るかのように周りから遠慮しいしい語っているが直接聞けばいいではないですか。

パール判事どういう人物だったのか、当時の日本をどう思っていたのかは次の一つのエピソードを見れば十分分かることでしょう。

パール判事の行い
◇引用開始◇
昭和25年11月5日パール判事は広島の爆心地に近い本川小学校講堂で開かれた世界連邦アジア会議にゲストとして参加した。
講演後パール博士は広島の原爆慰霊碑に献花して黙祷(もくとう)を捧げた。
 その碑に刻まれた文字に目を止められ、通訳のナイル君に何と書いてあるか訊(き)かれた。『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』・・・、博士は2度3度確かめた。
 その意味を理解するにつれ博士の表情は厳しくなった。
 「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。勿論(もちろん)、この碑は日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、私は疑う。ここに祀(まつ)ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭(めいりょう)である。落とした者が責任を感じ《2度と再びこの過ちは犯さぬ》と言うなら肯(うなず)ける。
 この過ちがもし太平洋戦争を意味していると言うなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国の東洋侵略のため蒔(ま)いたものであることも明瞭だ。
 さらに、アメリカはABCD包囲陣を作り、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って徴発した上、ハルノートを突きつけてきた。
 アメリカこそ開戦の責任者である」

◇ 引用終了◇

これを見れば一目瞭然パール判事がどんな人柄かわかるでしょう。
アメリカを憎み日本を一人の人格のように弁護したのです。
パール判事は怒った、そして熱く語った。
そしてすでに日本人に植え付けられ始めた自虐のこころを戒めています。  

パール判事は連合国側の判事でありながらただ一人、日本を弁護したのです。
あのインチキ東京裁判でもしパール判事が日本無罪をを弁護する証拠を出さなかったならば日本は永久に悪者にされてしまったことでしょう。
 こんにち外圧に対し日本の正当性を主張できるのももパール判事が残した証拠のおかげです。パール判事、ありがとう。


田母神少年に。みんなが言ッテレラ。

2008-11-06 Thu : 時事
田母神少年に。日本が悪いと言ッテレラ。

タモ少年は言った。「日本は悪くなかったんだよ。日本人はいい人だ」
すると周りのおとなは怒って言った。「日本人がいい人だなんて言っちゃいけない。悪い事をした悪い人だ、ずうっと謝り続けないといけない」

言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ評論家ガー。
言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラマスコミモー。
言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ野党モー。
言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ政府モー。

みんながあんまり何度も言うのでとうとうタモ少年はうなずいた。
「うん わかった。日本の子悪いんだったら日本に中国人が住めばいいんだね」

言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ言ッテレラ
イ(狂)ッテレラーみんなガー。

田母神幕僚長「わが国が侵略国家だなどとは濡れ衣だ」で悪い?

2008-11-03 Mon : 自衛隊
田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長が民間企業の懸賞論文に「わが国が侵略国家だったなどというのは濡れ衣だ」などと書いたことが理由で職を更迭された。

「いいこと言うじゃん、国を守るにはそれ位の気概がなくては」と思う私なのですが、政府はどうもそうではないらしい。
いまは更迭したけれどもなお在籍しているので内外に荒波を立てないようにどうやめさせるか頭を悩ましているもよう。
中山元国交相の「日教組」発言のときのようですね。

 中国外務省は「現役の自衛隊高官が公然と歴史を歪曲(わいきょく)し、侵略を美化したことに驚きと憤りを感じる」とのコメントを発表した。
 韓国外交通商省は「歴史の真実をごまかすものであってはならない、過去の過ちを謙虚に反省することが根幹」批判した。

外国にいろいろ言われてますよ。
金メダル取って「なんも言えねえ」なら立派だけど、毒ギョウザ食わされても海水浴やってるところに潜水艦出没されても「おら、なーんも言えねえ」じゃなんだか情けなくなってきたなあ、もし。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。